社会的な成功から遠ざかるだけの中年女の分岐点
父親からの承認。
男の子だけの問題ではない、『田舎の長女』は、男よりも苦しんでいる。
・・・男の子じゃなかった。
この落胆は、田舎の男達の大きな過ちだと言いたい。
農業というのは体を使った仕事だから、後継ぎに男子を望むのは仕方がない?
田舎では、子どもというのは先祖代々から受け継がれる土地を守るための存在でもある。
子どもを産む、育てる、ということがどういうことなのか、ということは二の次どころか三の次ならぬそれ以降の問題に追いやられている。
菊地凛子さんの演技は、見ていて本気でイライラするくらい、この価値観の犠牲になってしまった多くの女性達の苦しさを見事に表現していたと思う。
産まれた途端にガッカリされた、または、産まれる前からガッカリされていたかもしれない。
そんな子が、どうやって成長し、自分自身として生き、自分の家族を自分で築き、自身が幸せを感じられる『人生』を生きることができるだろうか?
女の子だぞ?
産まれてすぐに男親にガッカリされた女の子が、大人になって、どうやって男に愛されることを学べば良いと言うのだろうか?
といったところで、そろそろ映画のあらすじに触れます。
タイトルの通り、青森に住む父親が死んだという知らせを受けた42歳独身の主人公の女性が、途中までいとこの車に乗って向かっていたところ、いろいろあっていとことはぐれてしまい、そこからヒッチハイクで父の出棺に駆け付けるというロードムービーです。
その道は、彼女が生きてきた道そのものだったかもしれない。
最初乗せてくれたのは、自称デザイナーという同年代の女性。決して恵まれているとは言えないが、自分の手で、相応分の幸せを手に入れている。ごく普通の、強かな中年女性。
自分は愛にあふれていると思っている。
しかしその愛は、弱き者から知らずに搾取し、奪い取っている命。女の怖いところというのか・・・。最初はそこから旅が始まる。
次は真逆ともいえる、自称ライターの男性。彼からも、男の汚いところを見せつけられる。
絶望の後に出会ったのは、おそらく東日本大震災で被害に遭った老夫婦。おそらく、自身の両親を投影する。
次に出会ったのは、東北には縁もゆかりもない、関西出身の若い女性で、その次は、父の出棺に間に合いたいという気持ちから勇気を振り絞った先に応援を勝ち取った。中学生の男の子。
助けられて感謝する。
生きているのは、どこかで誰かが助けてくれているから。
そうなの??って、うっすら思えた映画だった。
菊地凛子さん、すごい。