恩人を見捨てるとき
幼かったころ、誰も「味方」がいない状況があった。
「いじってくる人」
のことを、遊んでもらったと思い込むことはよくある。
関わってくる人のほとんどは、暇つぶしに関わってきていただけとか、
「かわいそうな子」
に、優しい言葉をかける自分って、めっちゃ良い人~!
っていう、そういう自己陶酔に使われていることに気づかないフリをしながら、
怒りの感情に触れたくないからか、
穏やかで、怒りがない人格を選んでいることは、たぶん多い。
大切な妻と息子を、あたかも自分が死に追いやった形を作られたともなれば、
天下一品、究極の「天然」であろうとも、
怒り、憎しみ、復讐、どころか
殺意が生まれるのは当たり前のことだろう。
私も、彼の気持ちがちょっとわかる。
あの顔。
私も、あの顔をしているのだろうか。
気を使って、カチンと来ても最後には自分が折れて、
やっぱりあなたを尊敬しています、あなたは素晴らしい人ですと、屈服していれば、
いつか、いつの日か、いつかは、
自分を大切にしてくれるんじゃないかと、淡ーーーい期待を持ち続けていた、
あの人。
秘めた殺意は、
とてつもなく強いものだった。
淡い期待と共に持ち続けていた本心は、
その頃、とてつもなく固い決意に変わっている。
そう、
サイコパスより怖いのは、天然のいじめられっ子なのでしょう。
天然をいじめるな!
彼らは天才なんだからね!